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教養


ちくま書房から出版されている「エリートのつくり方 - グランド・ゼコールの社会学」を読んでいる。

グランド・ゼコールとはフランスにおけるエリート教育機関であり、有名なところではエコール・ポリテクニークとエコール・ノルマル・シュペリュールがある。フランスのエリートの殆どはこのグランド・ゼコールの出身者である。本書は、その歴史、教育方法、社会における位置づけ、そしてその将来を俯瞰するにはもってこいの本である。

さて、本書の中で印象的であった発言を2つほど引用したい。一つはエコール・ノルマルの卒業生であるサルトルの慶応大学における講演「知識人の位置」からの引用、もう一つはマルク・ジュリア氏(エコール・ノルマル化学研究所所長)のスピーチからの引用である。

「今日、人間の労働が細分化され、学者、技師、医師など実践的な知の専門家が生まれたが、彼らのすべてが知識人ではない。実例をあげれば、核分裂を研究し、原爆を完成する学者たちは知識人ではない。単なる学者である。この同じ学者たちが自分たちのつくり出す核兵器の破壊力に恐怖を抱き、協同して宣言文を公表して世界に原爆反対を唱える時はじめて彼らは知識人となる。」(サルトル)

「しかし、ノルマリアンの一人が、こんなことを言わなかったでしょうか。「教養とは、人がすべてを忘れ去ったときに残るものだ」と。つまり教養は知識ではなく、そのはるかかなたにあるものです。それは存在の領域に属するものなのです。」(ジュリア)

細分化された知識に拘泥されること無く、その土台となるべき価値や諸原則に重きを置く教養教育を徹底的に受けた人材を育てることが現在の日本には必要とされていると感じるのは私だけであろうか。かかる教育の欠落が日本における政治、経済、行政におけるグランドデザインならびにビジョンの欠如といった形で現れていると思えて仕方が無い。