国境って何だろう?
January 19, 1998
現在アメリカに出張中であるが、新しく購入したサブノートパソコンでMicrosoft Networkに接続し、インターネットに入れば朝日新聞や日経新聞のサイトに簡単にアクセスができて、今日本で何が起きているのかを、日本にいるときとまったく変わらず入手することができる。ましてやPoint Cast日本語版をインストールしてあるのでインターネットとの接続を切った後にゆっくりとニュースを読むことも可能なのである。
世の中便利になったものだと感慨にふけっていたが、ふと年末年始に起きた事件の一つを思い出した。それは、昨年の終わりに大麻の売買容疑で逮捕された一人の少年の名前がインターネットを駆け巡った事件である。この少年の父親は麻薬撲滅運動推進者であるイギリスの内務大臣ストロー氏だった。
イギリスでは日本と同じように未成年の犯罪者の身元公表を禁止する法律があり、新聞、テレビ、雑誌などのメディアは内務大臣の息子の名前を公表しないでいた。しかしながら、インターネットの上に一旦流れ出た逮捕された息子の身元は多くの人の知るところとなり、ロンドン高等法院は今年1月3日に事件に関する報道規制を正式に解除し、英国のメディアは少年の実名と彼がストロー大臣の息子であることを報道し始めた。
同様の出来事として、昨年神戸で起きた中学生による殺人事件の際にも、犯人の少年の名前や顔写真がインターネットの上に流れたことも皆さんの記憶に新しいことだろう。
それぞれにイギリス、日本の国内であれば実名報道は違法行為となるが、もし犯人の身元が海外のサーバーから提供されていた場合にはどうなるだろうか?誰もそれを止めることはできない。
もちろん海外の報道が日本国内で報道されない事実を取り上げ、最終的に日本国内でも報道にいたるということは以前にもあった。たとえば皇太子婚約のニュースも海外のメディアがいち早くそれを取り上げ、宮内庁との報道規制の縛りがあった日本のマスコミは結局後追いになったという例などである。しかし、海外の報道を直接入手するためには様々な障害があったし、それを入手できる人間の数もそれに伴って限られたものであったため、影響はそれほど甚大なものではなかったはずだ。
技術の進歩によって、それまで存在した障害が相当減ってきている。多くの報道機関がニュースを提供するホームページを開設しており、パソコン、モデム、電話回線があれば誰でもその情報に触れることができる。報道に関する国内規制が実質的に無意味なものとなっているということだ。
単に報道ばかりではない。電子的なファイルという形で経済的価値のある「情報」、たとえば暗号ソフトや電子マネー、あるいは違法なワイセツ画像が一瞬にして国境をすり抜けて行く時代だ。そこに国境があるからといって電子の奔流を止めることは誰にもできない。地図の上の線はもはや何の意味も持たず、一個所をふさいだとしても、またほかの場所が接続する。冗長度の高いインターネットの面目躍如である。
電子コミュニケーションの時代の国境の概念とはどういったものになっていくのだろうか。既存の国家の概念にどういった影響を与えていくのだろうか。大変興味深いものがある。