身勝手
April 18, 1998
公的資金を投入された銀行は、その見返りとして自らのリストラ策を公表した。その中に、取締役数の削減、相談役の廃止などが盛り込まれている。
確かに過去の功績だけを以って相談役という名前で高給を支払い、個室、秘書、黒塗りの車を用意するのはナンセンスである。さらに数十人にも及ぶ取締役会がまともに意思決定機関として機能しているとは到底思えないので、取締役の人数を削減し、本来の意思決定機関としての機能を取り戻すのは重要なことである。
しかし、本当にこういったリストラ策が有効なのだろうか?私は極めて懐疑的である。
会社の意思決定方法やコーポレートガバナンスが立て直された結果として相談役が無くなり、取締役数が削減されるのであれば歓迎するのだが、単なる数値目標として捉えられた場合には本来目指すべき組織の効率化という視点は失われ、単なる人数合わせに終わってしまうと思うのだ。
たとえば、取締役数の削減をする際に、現在の取締役を解任することになる。では解任された人達は路頭に迷い、新たな職を自ら探すことになるのかといえば、決してそうではない。結局のところ、関係会社や関連会社あるいは取引先の役員として民間版天下りをすることになる。こういった天下り先を確保するために、銀行本体からの契約がなければ自立することができないような関係会社、関連会社を抱え込むことになる。天下りがまっとうに機能しないことは日本の官僚制度が腐敗し、機能不全に陥ったことを見れば自明であろう。したがって、本来企業力の再獲得のために行われているリストラが結果として更なる非効率を生み出してしまうわけである。
世間では高級官僚の天下りを批判する声が強い。その尻馬に乗って、銀行は大蔵省からの天下りを拒否し始めている。しかし大蔵省とまったく同じことを自らが行っており、到底そんな拒否ができるような立場にあるとは思えない。まさに身勝手の極みであろう。
リストラは痛みを伴うものである。しかしそれが強い理念に裏打ちされ、克己心を持ち、自ら率先して痛みを負担する経営陣によって実行されることによって、従業員や取引先などの協力を維持し、求心力を持つことができる。
多くの銀行が発表したリストラ策には理念のかけらもないし、経営陣の決意も責任ある行動も全く感じられない。こんなリストラ策を信用することは私にはできないし、日本の銀行再生の可能性を信じることなども到底できない。