「告知」
September 4, 1998
最近の新聞記事で金融監督庁が金融検査を担当する人員を増強し、金融の専門家も採用するという報道がなされていた。良いことだ。どう考えても今の検査体制では質、量とともに不足であり、それを克服しようという試みは高く評価したい。
しかし、その前に本当に議論しなくてはならないことは、金融検査をどういったものとして位置付けるのかということだと思う。
もし、金融検査を性悪説にたって行うとするのならば。はっきりと言わせてもらえば、実際に銀行業務をしたことの無い人間に検査をやらせるという発想自体がナンセンスだと言える。金融のテクノロジーは日々進歩しており、生半可な知識では到底追いつけない。また、業務の中で必死にしのぎを削っている銀行員が、知恵を集めて検査と正面から立ち向かうとすれば、極めて限られた人数ならびに不十分な金融経験で行われている金融検査はその実効性に疑問が生じる。
性善説にたって検査をするというのであれば、金融検査にどれほどの意味があることになるのだろう?百歩譲って、コンサルティング的な意味合いがあるとするとしても、現有勢力による検査は到底コンサルティングを提供するといった質のものとは言えないないだろう。バブル時代には不動産融資を行わない銀行に「おたくの収益力には問題がありますねぇ。貸出をもっと増やさないと。」と指摘しておきながら、バブルが崩壊すると一転、「どうしてこんな不動産融資を行ったのですか?」と詰問する。これではお話にならない。
金融検査というものは、金融行政の政策・方針が確立され、それを担保する補助的な役割を担うものである。その点から考えると、現状の金融検査能力の増強は、十分な思慮なしに行われているものと言わざるをえない。
早期是正措置という新たな金融行政の指針が打ち出されたが、それによれば金融検査は原則自己査定の精度を測定し、その精度が劣っている銀行には精度を上げるべく指導を行い、自己査定の結果ベースで自己資本率基準に到達しない銀行に対して行政による経営改善指導や業務停止を命令するという透明な仕組みである。
ならば、本来まず一番最初に行うべきことは検査員を増員することではなくて、自己査定のガイドラインを客観的かつ明確に公示することではないか?それと同時に、検査当局が一つの銀行を客観的に「破綻状態」にあることを決定する権限を持つことである。
不治の病を宣告する勇気を金融検査当局はまず持つべきであろう。