Sorry
October 20, 1997
月曜日の日経新聞はいつもあまり面白くないのだが、その中でMonday Nikkei「のEnglish Conversation 禁じ手 奥の手」はいつもためになる英語表現の解説があり楽しませてもらっている。
今日取り上げられていた単語は"Sorry"である。冒頭の部分を抜粋すると
欧米の人は自分の落ち度を認めて不利になるようなことはしない。だから、絶対にsorryと言わないといわれます。
(日本経済新聞朝刊Monday Nikkei、97年10月20日 English Conversation禁じ手 奥の手から)
これは実感としてもその通りだと感じる。ではなぜだろう?と考えたときに法律家の立場から一つの理由付けをしてみた。
アメリカにはEvidence(証拠)と呼ばれる法律分野がある。これは裁判の際にどういった証拠が認められるのかということを決めた分野だ。裁判では証拠を積み上げて事実を立証し、それに法律を適用するわけですから、どんな証拠を使えるのかは裁判の行く末に大変大きな影響を持つのだ。
伝聞証拠(Hearsay Evidence)と呼ばれる、他の誰かが言ったことを又聞きで証言した内容は原則的には証拠能力が無いものとして扱われる。しかし、これには様々な例外があり、その一つにAdmission by party opponentと呼ばれる例外が規定されている。どんなものかというと、相手方が自分の非を認めるような発言をした場合には、たとえそれが伝聞であっても証拠として認められるというものだ。
裁判で「相手方が"I am sorry."(私が悪かったです、ごめんなさい)と言ったのです。」と証言して、相手が自分の非を認めたという立証の証拠に使えてしまう。
日本人は「ごめんなさい」と謝っても、それが直ちに自分の非を認めたという意味ではないと考えがちだが、アメリカではそうはいかないようだ。ただし、それが必ずしも悪いこととも言い切れない。日本人の「ごめんなさい」は乱発されているが、アメリカで自己の利害が絡む局面で相手方が"I am sorry."と言ったのならば、それは本当に心からの謝罪であるはず。どちらに言葉の重みがあるのだろうか?