フラットな組織
October 28, 1997
昨日の続きである。
製造業の現場では、チャップリンの映画にもあったように、マスプロダクションによって生産性を向上させていく中で、人間性の疎外が発生していた。最後には最もコストの高い人間は製造の現場からかなり姿を消してしまったが・・・多分、それと同じことがホワイトカラーと呼ばれる職種でもついに始まったと考えるべきなのだろう。 と昨日の言いたい放題で書いたのだが、「最もコストの高い人間は製造の現場からかなり姿を消してしまった」という点をホワイトカラーにあてはめると一体どういうことになるのか、考えていた。
ミドルと呼ばれる中間管理層の消滅と、経営的ビジョンを持たない担当者の消滅であろうというのが私の結論だ。
ホワイトカラーの仕事は、様々な仕事相手と交渉、折衝し、状況を把握し、それに関する専門家の意見をファーストハンドの情報として入手し、過去の情報と比較して整理し、自分なりの価値判断を行い、その処理結果を情報と共に意思決定者へと伝え意思決定を促し、その結果を受けて行動に移すことである。
現状の多くの日本の組織では、最終的な意思決定者に至るまでに一体何人の人間の手を情報が経るのだろうか。いちいちその中間にいる人間に理解させ、納得してもらうために、呼びつけられ、仕事を中断され、言い回しを変更し、資料を作成しなおし、根回しをしなくてはならなかったりする。
こういったプロセスは何かを生み出しているのだろうか? 多量な1次情報を加工し、それに分析を加える、意思決定者の判断の素地を作るという意味はわかるが、そのために何人もの人間が必要であろうか?せいぜい直接の担当と意思決定者の間に1人もいれば十分であろう。
いや、それでは物理的に対応できないという意見が出てくるかもしれないが、その物理的な限界をサポートするのが最新の情報処理技術である。直接の担当者が必要なすべての1次情報をデジタル化してインプットしておけば、意思決定者は中間管理者による分析、抽象を必要とせず、自ら様々なソフトウェアなりを利用して意思決定者の視点から状況を分析することが可能である。そこには情報の歪み、遅延というものは存在しない。極めてスピード感を持った意思決定が可能となる。加えて、最終意思決定者と直接の担当者の間の人間へ大幅な権限委譲を行っておけば、本当に経営にとって重要な事項のみに最終意思決定者が注力することは十分可能であろう。
また、その様な組織では十分な問題点の検討ができないのではという意見もあるかもしれない。しかし、それは単に意思決定者の能力不足、あるいは1次情報の処理を行う直接の担当者の能力不足という一語で片づけられる話である。一人で十分な問題点の検討を行えない者は不要だと言い換えることもできよう。
情報のインプットを受けて、それに対する経営判断を決定するということが企業のあり方であるとすれば、インプットされた情報を加工し分析するという今まで人手を以って行っていた作業の相当部分はコンピューターなどに依存することが可能と考える。そうやってフラット化した組織と旧態以前とした組織が同じ土俵で競争したら、勝敗の行方はあきらかだ。従ってフラット化した組織は急速な勢いで広がり、ミドル層の消滅が進み、加えて多量の情報を十分にさばき切れない担当者はその立場を器械に譲る日が来るのだろう。
そして最後にオフィスに残るのは本当の意味で経営ビジョンを持ち、創造的な発想ができる人間のみとなってくるはずだ。まるでマスプロダクションラインに人影が無くなり、装置のコントロールルームにだけ人が残ったように。