(Last modified on June 2, 1995)


田中康夫が教えてくれたこと


田中康夫が僕らに教えてくれたことって「好きか嫌いか?」っ ていうことに貴賎は無いって事だよね。例えばバッハのフーガを聞いてカンファタブルだと思えることとtrfを聞いてノリがいいじゃんって思うこ とって基本的には何の変わりも無いって事なんだよね。

でも今まで日本を牛耳ってきたマザコン、ホモのおやじ達は「そんなことはない よ、バッハの方が偉いに決まってる」って思っていたんだと思う。いろんな過去からの積み重ねでパラノになっていて(昔、浅田君が言ってたねスキゾフレーニーと パラノイア。なんか懐しい響きだ。)、既存の価値観から自分を脱却させることができなくて、自分達の作り上げた迷路の中をさまよってる亡者みたいなものだと思 う。そこへ、迷路を平気ですりぬけていく連中が現われたら亡者はいたたまれないよね。それまでさまよってた自分達はどうなっちゃうんだぁって悪あがきをするに 決まってる。でも自分の判断で壁を突き抜けてく者たちを結局のところ亡者は追い掛けられないんだよ。すこし、かわいそうだな。でも仕方ないや。

今自分が暮らしていく中で「好きか嫌いか」って重要な座標軸になっている。例え ば有名なホテルだって「やだなぁ」って思ったらそれで終わり。世間的にはそれほどでなくても「やっぱし二重丸だな」って自分が思えればそれで十分何だよ。人と の付き合いだって、すごく有名な人で世間的な評価が高い人でも「嫌いだな」って思えば、その自分の判断は大事にしていきたいと思う。誰のために生きてるわけで もなく、他ならぬ自分のために生きているんだから、他人がどう言おうと知ったこっちゃない。

それで失敗することもきっとあるよね。でもいいのさ、他の誰も責めることができ ないし責任は全部自分持ち。これって生きてる実感わくし、ますますいろんなことに対する感度を上げてかなくちゃぁって前向きに失敗を捉えられる。

でも、高度資本主義社会の貪欲で恐ろしい事だと思うことは、こういった個人的な 「好きか嫌いか」という座標軸を持っているという幻想を抱かせておいて、上の例で言えば迷路の壁を突き抜けたと思わせておいて、でも実際はまるで孫吾空のよう にもう一段の囲みから抜け出せないでいるっていう状況を作りだしているって事だね。ある意味でこれが時代の見えない閉塞感を産み出しているのかなぁなんて気が する。

例を上げればマーケティングがそうだね。多くの消費者は自分の皮膚感覚に基づい た商品選びをしていると思い込みながら、巧妙に巡らされたマーケティングの罠に堕ちていく。自分の皮膚感覚すら自由にならない、まるで鵜飼いの鵜の様な自由が 今の時代なのかも知れない。



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